月
スピッツの歌詞によく出てくる言葉「月」に着目。
黄色い月が呼ぶ 君が生まれたところさ(月に帰る)
月の光 差し込む部屋 きのうまでの砂漠の一人遊び(胸に咲いた黄色い花)
かすかな真昼の月と西風に 揺れて咲くコスモス 二度と帰れない(コスモス)
バナナ浮かぶ夜は 涙こらえて 下手なピンボールだって 味方につけた(たまご)
ぬるい海に溶ける月 からまるタコの足 言葉より確実に俺を生かす(さわって、変わって)
街は今日も眩しいよ 月が霞むほど(漣)
月のあかりで 生き延びる(オケラ)
正気の世界が来る 月も消えた夜(新月)
丸く白い月が卵に似ていることと、スピッツの詞の根底に輪廻という考えが横たわっていることをふまえればわかりやすいかもしれない。それはあの世、または夢(理想)の世界を意味する。
はじめの3曲では「君」と死が結びつけられてあり、たまたまだろうが「君」の遠ざかり具合はエスカレートしていく。”月に帰る”ではまだ「もうさよならだよ」だが、”胸に咲いた黄色い花”とは「君」の幻であり、そして”コスモス”では「幻にも会えず」と歌われてしまう。
後半3曲にあっては、月は希望のようなものとして捉えられている。「街は今日も眩しいよ 月が霞むほど」とはスピッツっぽい言い回し。有名どころでいうと、”空も飛べるはず”の「ゴミできらめく世界」とかと同じで、汚れた現実を皮肉って「眩しい」「きらめく」などといってる。”新月”も然り。