ドロウジーズ

スピッツ多めです

 YouTubeで聴いてみただけといったスピッツファンでない人からすれば、「渚」は夏を繊細ながら爽やかに奏でる曲という感じだろう。しかしよくよく歌詞を見てみれば、そんな表向きの爽やかさに対し違和感を覚えるはず。

 渚とは砂地と海の入り混じる場所。スピッツにおいて「砂漠」と海がそれぞれどんなモチーフで用いられてきたか知っているなら、歌詞を見なくてもタイトルだけで曲の雰囲気はイメージできるかもしれない。しかしそれにもまして「僕」は切羽詰まっているように思われる。

(この曲には「僕」といった一人称を表す言葉は出てこないが、ここでは便宜的にその主人公を「僕」と名づけておく)

 Aメロから見ていこう。そこでは「僕」の「君」への態度が「思い込みの恋」「ねじ曲げた思い出」「ギリギリ妄想だけで」などのフレーズで歌われる。「僕」は「妄想」によって「君」との「つながり」を保とうとしている。

 Bメロをとばしてサビを見てみれば、そのことは象徴的に言われている。「やわらかい日々」とは「僕」が「妄想」した「君」との日々ということだろう。

 ではなぜ「二人の夢を混ぜ合わせる」のが「渚」なのか。それは「僕」のいる場所が陸で、「君」のいる場所が海だから。言い換えれば「君」はすでに亡くなっている。

 二番のBメロでそれがわりかしストレートに表現されていて、「妄想」で「君」と心中したいと書かれている。一番のBメロでも似たことが歌われるが、ここでマサムネの才気炸裂。「君」のいる死後の世界へ行こうと試みることを「野生の残り火抱いて 素足で走れば」と表現するのは、草野マサムネのセンスでなかったらちょっと思いつかないだろう。