ドロウジーズ

スピッツ多めです

 スピッツの歌詞によく出てくる言葉「川」に着目。

 

魚もいないドブ川越えて 幾つも越えて行く二人乗りで(夏の魔物

街の隅のドブ川にあった 壊れそうな笹舟に乗って流れた(プール

あの河越えれば君と二人きり(魔法)

河原の道を自転車で 走る君を追いかけた(ロビンソン)

川を渡る 君が住む街へ(水色の街)

ナイルのほとりにいた 前世からの鼻歌(点と点

名前すら無いような 濁った小川に 浮かべたイカダに乗って僕らはただ行く(探検隊)

描いてた パラレルな国へ 白い河を 飛び越えて(未来コオロギ)

 

 三途の川という言葉が思い浮かぶ人もあるかもしれない。スピッツの詞の基盤は「現実は汚れている」という感覚。そんなスピッツにとって川とは、現実と別世界の境界、もしくは別世界へつながる道になる。それはたとえば、彼らが「海」をたびたび理想郷または死後の世界にたとえることや、現実を「砂漠」とか「ザラザラの世界」などと書くことからもわかる。そして「ドブ川」や「濁った小川」などと言われるのは、「川」が清らかな水辺につながりながらも現実の汚れた街を通るからだろう。

 そんな「川」の向こうにこそ君との世界があるという発想はいかにもスピッツ。これは、現実は住みにくい場所だから君と逃げだそうという話なのでなく、「君」というものに内在する遠さを意味しているのではないか。というよりそう考えたほうがおもしろいと思う。つまり「君」という存在を思った時点で必然的に、その人のことは別世界の住人というたどり着く方法のないものとしてしか描けないというわけである。

 歴史的な変化に言及すれば、夏の魔物ではセックスによって川を越えるといってるけど、年を経るにつれそういう面はうすれていく。あとは探検隊でもイカダときくとちょっとたよりない気もするが、もっと昔の「壊れそうな笹舟に乗って流れた」からすればこれでもだいぶ力強くなったんだとわかる。