ドロウジーズ

スピッツ多めです

 スピッツの歌詞によく出てくる言葉「窓」に着目。

 

窓から顔出して 笑ってばかりいたら こうなった(ニノウデの世界

膝を抱えながら色のない窓をながめつつ(鈴虫を飼う)

窓の外の君にさよなら言わなきゃ(田舎の生活)

一人きりさ 窓の外は朝だよ 壊れた季節の中で(アパート)

日なたの窓に憧れてたんだ(日なたの窓に憧れて

すりガラスの窓をあけた時によみがえる埃の粒たちを動かずに見ていたい(サンシャイン)

あの娘だけは光の粒をちょっとわけてくれた 明日の窓で(あじさい通り)

桃の香りがして幸せすぎる窓から投げ捨てたハイヒール(グラスホッパー

小さすぎる窓から抜け出せる時が来る(聞かせてよ)

 

 上のフレーズ例が描く通り窓は日が差しこむ。「君は太陽」なんてわかりやすいタイトルの曲もあるが、スピッツの詞世界における「太陽」は「君」を表す。つまり窓の外にしか「君」はいない。

 窓とは自分の部屋と外との境界だ。そこにおいては自分と外(現実、世間)が対比される。扉でなく窓というところがスピッツのひきこもり体質の如実な点。

 けれどもただひきこもっているのでなくそこには外への志向がある。むしろ志向が強いから疎外感も強まり、自分の部屋という夢や妄想で塗り固めた世界のなかで理想を実現しようとする。逆な観点から見れば、自分の世界に深く閉じこもろうとするからこそ反作用として外への志向は育っていく。「小さすぎる窓から抜け出」すなんかは幻想への逃避者の真骨頂。草野マサムネは扉から抜け出さないのだ。