ドロウジーズ

スピッツ多めです

名前をつけてやる

 タイトルからして子供っぽい意地につつまれている。しかし最後のサビののち一転しゃんしゃんしたギターとマサムネのラララ…という声が静やかにひびいて終わるという不思議なバランス感覚をもった曲である。では、順番に見ていこう。

 一番のメロは「まぬけなあくびの次に 目が覚めたら寒かった」と歌われて終わる。つまりそれ以前の詞は「僕」の見ていた夢での出来事だった。夢だから「小さな街」にも「ぬかるんだ通り」にも名はない。「似た者同士」とは「僕」と「君」のこと。「僕」と似ている「君」という勝手な理想が実現されてしまっているのも夢だからだ。

 だけどもそんな夢の中でさえなんだか呆けているだけで結局目が覚めてしまう。その直前の行動が「まぬけなあくび」というのがおもしろい。「僕」はまさに眠っているからそのあくびは眠りにつながっていない。逆にあくびをしたら目が覚めた。のんきにしていたら現実に戻されてしまったというのはニノウデの世界の二番にも通じる。

 二番になると「名もない小さな街」だったのが「マンモス広場」となって、どうやらこちらは夢じゃないらしい。マンモスとは「僕」のアレ。かなりあからさまだ。しかし結局どうすることもできず「君」とはお別れになる。それを「無言の合図の上で」のこととしているのは言い訳なんだろう。それにしても「回転木馬」とか「駅前のくす玉」とか寂しげで安っぽい表現が楽しい。ほかの曲にあってもそうだがマサムネはこういうセックスに関する表現はとめどなく思いつくにちがいない。

 そして問題は、何に「名前をつけてやる」と歌っているのかということ。これはおそらく「君」の名前ではないだろうか。もちろん「君」には現実の姓名があるわけだが、それでは叶わない。「僕」が名前をつけることで「僕」の世界へ招こうとしているのだ。バニーガールという曲で「名も知らぬ君に」という詞があるが、ここでの「僕」も「君」の名前を知らないのかもしれない。そうして考えた名前を「誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな」と歌うのは、少年らしく自らの想像を過大に誇りながらも同時にそれがでっち上げにすぎないということを自嘲するからだ。この自信のなさは初期スピッツに特有のもので、たとえばロビンソンなんかと比べたらすこぶる弱気だとわかる。