ドロウジーズ

スピッツ多めです

点と点

 点と点とは「僕」と「君」のことだろう。点という消え入りそうな小さなものをメタファーとして与えているのは、スピッツで度々歌われるふたりが出会うことの途方もない偶然と、しかし出会うのはこのふたりでなければならなかったのだという絶対的な必然がこめられているからだ。

 さてざっと眺めると変な歌詞である。一番のメロで(「君」が「僕」の)「前世からの鼻歌」に「やっと気付いてくれた」と言っているのに、次のサビでは「昨日の朝めしも 思い出せそうだし」というフレーズが飛び出す。「前世からの鼻歌」なんていう遠い不確かな過去の頼りないもので「君」とつながろうとするのに、「昨日の朝めし」に関したら覚えていないというのだ。「有名な方程式を 使うまでもなく」とあるが、実にスピッツらしい変な方程式が繰り広げられている。

 この曲のテーマは”「君」と出会うことによって過去を超える”ことにある。Cメロがわかりやすい。ふたりが「組み合わ」さることで「それまでの 思い込みをぶち壊」し、「固い心」は解放されると書かれている。また二番には「悲しい記憶の壁 必死こいてよじ上った」「うしろは知らない」ともある。

 そんな「君」と出会う手段が「前世からの鼻歌」であるというのは、上述の偶然性と必然性の重ね合わせが明らかだろう。自分の日常の記憶は振り払おうとするのに、「君」とのつながりを支える「前世」をは信じているのだ。「ナナメの風ん中」でも「君」へのまなざしは「まっすぐ」だと歌われていることからも、「君」という存在への手の差しのべ方の強さがうかがわれる。

 そうして「君」と「一緒に」「ナイル」を渡れば「昨日の朝めしも 思い出せそうだ」という。これはそれまでの記憶に代わる新しい昨日を手に入れられそうだということではないだろうか。もしくは前世まで戻ってそれこそが本当の昨日だと言っているんだろうか。ともかく「明日」でなく新しい「昨日」を手に入れようというのはこれぞマサムネ節。

 そしてここまで力強く歌いながらも「平気なフリしてても 震えてる」と弱気な面が差しこまれなければならないのもこの詩人らしさだろう。