ドロウジーズ

スピッツ多めです

プール

 儚く幻想的なギターと鈴、気だるい歌い方が詞にマッチした曲。「君に会えた 夏蜘蛛になった」と出だしで詩人。不気味にかさなった君と僕を「夏蜘蛛」だけで表現。この出だしを思いついたのだったら、書き手は草野マサムネなんだから以降の詞もそりゃうまくいくに決まってるでしょという感じ。

「街の隅のドブにあった 壊れそうな笹舟に乗って流れた」という一節は、ぼろぼろになりながらも汚れた現実から抜け出そうとする二人が描写されている。

 サビはいずれもセックスのこと。「でこぼこ野原を 静かに日は照らす」とあるが、ここも秀逸。「でこぼこ野原」っていうのがきれいすぎず生々しすぎず良いです。スピッツでは「君」が太陽にたとえられることがよくある。

 タイトルが海や湖でなく「プール」なのもポイント。汚れた現実からの逃避先として水辺が描かれるわけだけど、幼く消えそうな二人でつくったささやかな世界というイメージが「プール」にこめられている。

テレビ

 歌詞は一番はセックス、二番は死後の世界(生前の世界)、これらを経て三番で生まれるという展開。そのストーリーをテレビで見ているという設定がおもしろい。

 三番では「ブリキのバケツに水をくんで おなかの大きなママは思った」という詞で、「僕」の魂が「ママ」にすくいとられる様子が表現されている。3rdアルバムのタイトルナンバー「惑星のかけら」で「君」が「惑星のかけら」と呼ばれているのと類比的。死後(生前)、魂たちは水のように輪郭をもたず皆混ぜこぜなっていて、生をうけるというのはその水のかけらとしてバケツですくいとられるようなものだ、というのがマサムネの死生観。このテレビという曲のストーリーを見ても、生と死の混ぜこぜ具合が如実です。

 歌詞の素晴らしいところはサビ。このストーリーを「春の風によじれた 君と僕と君と」というフレーズで纏められるのは、詩人の才能。能天気な脆さが一文で表されていて、これがあるのとないのとでは全体の印象も違う。その手前の「マントの怪人 叫ぶ夜」というフレーズも、不気味なものをファニーに書けるところが、スピッツっぽいバランス感覚。

ニノウデの世界

 メジャーデビューアルバム「スピッツ」の一曲目。「君」と「二人でカギかけた小さな世界」でたわむれていた「僕」であったが、Cメロでそれらは過去の日々であったことが明かされ、結局「なんにもないよ 見わたして ボーッとしてたら何故 固まった」と最後には一人ぼっちになる。「石の僕は空を切り取った」とは「僕」は死んだということだろう。こうオチが用意されているのがらしさ。

「冷たくって柔らかな」「ニノウデ」「おなかのうぶ毛に口づけた」というフレーズからは二人の幼さがうかがわれる。「かすかに伝わってき」ただけで「飛んで」いけるのも幼さゆえの飛躍。

 から顔出して 笑ってばかりいたら こうなった」というのは、「二人でカギかけた小さな世界」に閉じこもりつつ、外部の世界(現実、世間)を嘲っていたら、どちらの世界からも見放されてしまったということか。

 それにしてもタイトルがいいなと思う。